中山道69次の52番目の宿場である「鵜沼宿(うぬまじゅく)」は、岐阜県各務原市にあります。近年、家並みが整備され昔の街道の趣を感じることができる街並みへと変わりました。そんな江戸時代の往時の雰囲気を味わえる鵜沼宿を散策してきました。
鵜沼宿について
江戸から数えて52番目の宿場であった鵜沼は、当時は「宇留間」あるいは「売間」と書かれていたようです。安政年間には、本陣1陣・脇本陣1陣・旅籠25軒があったといわれています。
年々、周辺の近代化が進んでいましたが、江戸時代の宿場町の景観を未来に継承するため、近年、各務原市が家並みの修復や脇本陣の復元、水路の設置、電柱の地中化などを行いました。
駐車場
無料駐車場が2か所ありました。台数は多くありませんが、街並みの中にあるのでとても便利でした。大型バスの駐車場もあり、観光に力を入れているんだなと思いました。
鵜沼宿の街並み
江戸時代には、他の宿と同様に中央に用水が流れていたようですが、今は無く、代わりに家の軒下に用水路が設置されています。
右側、手前から順に「安田家住宅」「梅田家住宅」「坂井家住宅」と並んでいますが、いずれも市の登録有形文化財です。中でも「梅田家」は、江戸時代後期の建築物が残る鵜沼宿で最も古い家屋です。↓
登録有形文化財に指定されていても現在なお住まわれている建物もあります。外観だけの公開とはいえ観光客が表を歩いたり見られたり、また管理なども大変かと思いますが、やはり貴重な建物なので残していってほしいと思います。
中山道鵜沼宿 脇本陣
江戸時代、鵜沼宿の脇本陣を務めた「坂井家」を、古絵図を基に復元しています。
入館無料で、お手洗いもあります。復元された内部も見学できます。
松尾芭蕉が、1685年(貞享2年)から更科紀行に旅立つ1688年(貞享5年)まで、三度、脇本陣坂井家を訪れたと伝えられています。
また、芭蕉は坂井家の主人の求めに応じて句を詠み、楠の化石に句を彫り刻んだとも伝えられています。
中山道鵜沼宿 町家館
街並みのほぼ中央に位置する町家館は、各務原市が「武藤家」から建物の寄付を受け修復工事を行いました。明治時代の濃尾大震災後に建て替えられていますが、江戸時代の面影を残す町家建築となっています。屋敷は中庭を囲むように、主屋・東の附属屋・西の離れの三棟からなり、三棟とも市の登録有形文化財・景観重要建造物に指定されています。
江戸時代には「絹屋」という旅籠を、明治初期から昭和30年代までは郵便局を営んでいた建物だそうです。
町家館も入館無料で、お手洗い完備です。歴史民俗資料館などもあり、交流施設として各種企画展などのイベントが開催されたりもします。
菊川の酒蔵
明治4年に鵜沼宿で創業以来、100年以上の歴史を持つ造り酒屋です。
黒い壁の木造の蔵は、昭和初期の建築物として登録有形文化財に指定されています。(内部は非公開)
大安寺大橋
新緑の季節はより一層、良い雰囲気でしょうね。また、大安寺川沿いは桜並木もあり春に訪れるのもいいですね!
旧大垣城鉄門
街並みの東端には、大垣城本丸の表口に建てられていた鉄門(くろがねもん)もあります。
明治9年に払い下げられた後に安積家(各務原市蘇原野口町)の自邸の門として維持されてきたことから「安積門」(あづみもん)と呼ばれています。各務原市に寄付され平成21年にこちらへ移築されたそうです。
市の重要文化財に指定されています。
鵜沼宿の無料駐車場が併設されています。
間口約5.7m、高さ約4.5mあり、高麗門形式の鉄門と称されているそうです。
二ノ宮神社・古墳
脇本陣の横に、二ノ宮神社があります。
こちらの階段から行きましたが、西側の坂道から行くこともできます。
急な階段なので、転ばないように要注意です!注意書きの看板もありました。心配な方は西側の坂道からのほうがよさそうです。
神社自体は、江戸時代の初めに鵜沼宿が開設されるにあたりこの場所に移設されてきたものだといわれています。祭神は、国狭槌命(くにのさづちのみこと)です。坂道や村境を守るといわれています。
かつては登録有形文化財に指定された拝殿(明治時代建立)が参道右手にありましたが、老朽化により解体されました。(一部は脇本陣敷地内に保存されています。)
拝殿は、当時盛んに行われていた地芝居や歌舞伎の舞台としても利用されてきたそうです。取り壊されたのは、いかにも残念ですね・・・。
高台にある為、南に国宝犬山城も見えました。↓
二ノ宮神社ができる前からこの場所にあった古墳もあります。実は、先ほどの二ノ宮神社の本殿はこの古墳の上にあります。
古墳時代後期(6世紀後半)に築造されたとされる円墳です。墳丘がそのまま神社の境内になっていて、奥行き6mの横穴式石室が露出しています。
中山道鵜沼宿の歴史を感じながらの散策、発見もたくさんありとても楽しかったです。